
マクロナビゲーション
「メンタルマップ」とは何か − 認知地図とO&Mにおける実践的な空間情報 −
前節で確認したように、本稿でいう「メンタルマップ」とは、空間についての内部表象一般ではなく、視覚障害者が安全に歩くために利用する実践的な空間情報である。
したがって、ここで問うべきなのは、単にその情報が頭の中にあるかどうかではなく、それが実際の歩行場面でどのように役立つのかということである。
この点を明らかにするためには、歩行に必要な空間情報をマクロナビゲーションとミクロナビゲーションに分けて検討することが有効である。
マクロナビゲーションとは、目的地までの経路を選択し、現在地を把握しながら進むような、大きな空間での移動を指す。
晴眼者が地図を必要とするのは、主にこの段階である。
交差点で右に行くのか左に行くのか、どの道を選択するのかといった判断に地図は役立つ。
一方、一つの交差点から次の交差点まで歩くこと自体には、それほど困難を伴わない。道路が直線であれば、次の交差点まで見通せることが多いからである。
例えば、駅から目的地の建物まで向かう場合、どの出口を使い、どの通りを進み、どの交差点で曲がるのかを判断することは、マクロナビゲーションにあたる。
この段階で必要なのは、目的地までの大まかな経路、現在地と目的地との位置関係、主要な交差点や駅出口などの手がかりである。
ミクロナビゲーション
ところが視覚障害者の場合には、マクロナビゲーションに加えて、ミクロナビゲーションについても考える必要がある。
ミクロナビゲーションとは、歩道のどこを歩くのか、建物側と車道側の境界はどこにあるのか、歩道の幅はどれくらいか、障害物をどう避けるのかといった、その場その場の環境を確かめながら、次の中間目標まで安全に移動することである。
例えば、同じ交差点まで歩く場合でも、歩道の建物側を辿るのか、点字ブロックに沿って進むのか、途中にある看板や駐輪自転車をどのように避けるのかを判断することは、ミクロナビゲーションにあたる。
この段階で必要なのは、進む方向そのものよりも、身体のすぐ周囲にある境界、障害物、路面、音や触覚による手がかりである。
本稿では、このミクロナビゲーションは、次の三つの方法を状況に応じて組み合わせることによって行われていると考える。
- 道を辿る(壁、縁石、点字ブロックなどの連続する手がかりに沿って進むこと)
- パイロッティング(ランドマークや環境中の目標物を手がかりに、現在地や進行方向を確認しながら移動すること)
- 経路統合(歩行中に得られる身体感覚や運動感覚をもとに、自分が進んだ距離や方向を推定することによって行われる)
辿ることやパイロッティングを計画的に利用するためには、どのような境界や目標物がどこに存在するかという情報を、あらかじめ得ておくことが重要である。
ここに、視覚障害者が「メンタルマップがない」と言う理由が見えてくる。
すなわち、それは認知地図そのものが存在しないという意味ではなく、道を辿ったり、パイロッティングを行ったりするために必要な環境情報がまだ十分に得られておらず、歩行に利用できる形に組み立てられていないという意味である。
ここでいう「組み立てる」とは、個々の空間情報を単に記憶することではなく、それらを実際の歩行の中で利用できる形に結び付けることである。
例えば、「建物側を辿る」「建物沿いのランドマークを確認した地点で点字ブロックへ移る」「角を示すランドマークを手がかりに右折する」といった一連の歩行手順として結び付けられて初めて、それらの情報は実際の歩行に利用できる。
晴眼者であれば、紙の地図に加え、インターネット上の地図やストリートビューなどから、ある程度の空間情報を得ることができる。
しかし、視覚障害者がこれらの情報源から、実際の歩行に必要な空間情報を同じように取得することは容易ではない。
そのため、多くの場合、事前に現地を歩く「下見」を通して、自分の歩行に必要な空間情報を収集することになる。
初めての場所を歩くために必要な空間情報
では、視覚障害者が初めての場所を歩くためには、どのような空間情報が必要なのだろうか。
もちろん、それは視覚の状態や歩行方法、たとえば白杖歩行か盲導犬歩行かによっても異なるため、一律に決めることはできない。
それでも多くの人に共通して重要なのは、ランドマーク、道路や縁石、街区や広場、そして勾配や段差を含む路面などに関する情報である(Golledge, 1990)。
さらに、点字ブロックや音響信号などの移動支援設備の有無や種類に関する情報も重要になる。
マクロナビゲーションに必要な空間情報は、人に尋ねたり、ナビゲーションアプリを利用したりすることである程度補うことができる。
O&Mでは、このような場面を想定して、soliciting assistance、すなわち必要に応じて周囲の人に情報や支援を求めることを、単独歩行を支える重要な技術として位置づけている。
近年ではナビゲーションアプリが普及し、位置情報の精度が高い環境では、目的地まで到達すること自体は以前より容易になった。
ただし、ナビゲーションアプリが提供するのは、主にマクロナビゲーションに関する空間情報である。
歩道の幅、建物側や車道側の境界、障害物、路面の状態といったミクロナビゲーションに必要な環境情報は、まだ十分には提供されていない。
視覚障害者が「メンタルマップがない」と言うとき、それはマクロナビゲーションに必要な経路情報だけでなく、とりわけミクロナビゲーションに必要な環境情報が不足している状態を表していると考えられる。
歩行における空間情報の獲得と利用
ここまで述べてきた空間情報は、どのような情報源から得られ、どのような知識として保持され、歩行に利用されるのだろうか。
DownsとStea(1973)は、地理空間情報の情報源を、実際の移動によって得られる直接情報と、地図などのメディアを介して得られる間接情報とに分類している。
現実には、私たちはこれら複数の情報源を統合しながら空間を理解している。
ここで挙げた情報は、認知地図研究で示された地理空間情報の構成要素とも対応している。
Golledge(1990)は、認知地図に含まれる情報として、点(ランドマーク)、線(道路や縁石など)、面(地域、街区、広場など)、路面(平坦・勾配など)を挙げている。
これらは認知地図を構成する地理空間情報の種類と考えることができる。
一方、GolledgeとStimson(1997)は、空間的知識を、ランドマークの知識、ルートの知識、配置的(configurational)知識の三つに分類している。
GolledgeとStimsonはこれらを「知識」と呼んでいるが、本稿では、それらを保持された知識としてだけではなく、歩行の中で実際に利用される空間情報として捉える。
ランドマークの知識とは、意味のある場所や対象物についての知識である。
複数のランドマークが移動する順序に沿って結び付けられることによってルート知識が形成され、さらに、それらの相互の位置関係が理解されると、配置的知識へと発展する。
一般に、実際に歩いて得られる知識はルートマップ型になりやすく、紙の地図から得られる知識はサーベイマップ型になりやすいとされている。
O&Mにおいて重要なこと
最後に、身近な例を挙げたい。
初めて訪れる場所について、その場所をよく知っている人が、最寄駅から目的地までの手書き地図を書いてくれることがある。
しかし、その地図どおりに歩いても目的地へ着けなかったり、着いたとしても実際の配置が地図とは大きく異なっていたりすることは珍しくない。
これは、描かれた地図が客観的な現実そのものではなく、描いた人が理解している空間、すなわちその人自身の認知地図を目に見える形にしたものであるからだろう。
同様に、視覚障害者が「メンタルマップ」と呼ぶものも、紙の地図をそのまま頭の中に写し取ったものではない。
それは、安全に、かつできるだけ迷わずに歩くために必要な情報を選び取り、複数の情報源から得られた内容を実際の経験と統合して組み立てた、実践的な空間情報である。
したがって、「メンタルマップがない」という日常的な表現は、認知地図の有無を意味するものではない。
むしろ、その場所を安全に歩くために必要な情報が十分に収集され、歩行に利用できる形にまで組み立てられていないことを示す表現として理解するのが適切である。
O&Mにおいて重要なのは、「メンタルマップ」を持っているかどうかを問うことではない。
利用者が必要な支援を受けながら、歩行に必要な空間情報を収集し、それらを歩行に利用できる形に組み立てていく過程を支援することである。
文献
Downs, R. M., & Stea, D. (1973). Cognitive maps and spatial behavior: Process and products. In R. M. Downs & D. Stea (Eds.), Image and environment (pp. 8–26). Chicago: Aldine.
Golledge, R. G. (1990). The conceptual and empirical basis of a general theory of spatial knowledge. In M. M. Fischer, P. Nijkamp, & Y. Y. Papageorgiou (Eds.), Spatial choices and processes (pp. 147–168). Amsterdam: Elsevier Science.
Golledge, R. G., & Stimson, R. J. (1997). Spatial behavior: A geographic perspective. New York: Guilford.
