自分自身を運転する ―視覚障害者の歩行とO&M―

眼鏡を掛けて車を運転している男性を後ろ姿を車内で撮った写真。

「車を運転すること」「人が歩くこと」

車を運転すること」と「人が歩くこと」。

この二つを結びつけて考える人はあまりいないでしょう。

しかし私は、長年視覚障害者の歩行(Orientation and Mobility: O&M)訓練に携わる中で、この二つは驚くほどよく似ていると思うようになりました。

私たちは普段、「歩く」という行為をあまり意識しません。

しかし見方を変えれば、人は誰でも「自分自身」という乗り物を運転しています。

「歩くこと」は「自分自身を運転すること」

車を運転するとき、私たちは、アクセルを踏み、ブレーキをかけ、ハンドルを操作します。

そして道路の幅やカーブ、周囲の車や歩行者との位置関係を絶えず判断しながら、目的地へ向かいます。

歩くときも同じです。

足腰が身体を前へ進める力を生み出し、身体の向きを変え、速度を調節します。

必要なときには止まり、人や障害物を避けながら目的地へ向かいます。

歩くことは自分自身を運転することなのです。

運転には三つの能力が必要 

車を安全に運転するためには、大きく三つの能力が必要です。

一つ目は、車そのものを動かす能力です。

アクセルやブレーキを操作し、速度を調整し、思い通りの方向へ車を進めます。

人間でいえば、歩く、止まる、向きを変える、バランスを保つといった身体を動かす能力です。

この能力をO&Mではモビリティと呼びます。

二つ目は、周囲の環境との関係を理解し、安全に移動する能力です。

運転者は、車線からはみ出さず、縁石に乗り上げず、停止線で止まり、周囲の車や歩行者との位置関係を把握しながら車を操作しています。

歩行でも同じです。

歩道や道路の端を手がかりにしながら、障害物や人を避けて進みます。

このような近い空間での移動は、「ミクロナビゲーション」と呼ばれることがあります。

三つ目は、目的地までどのように行くかを考える能力です。

自分はいまどこにいるのか、どの道を通ればよいのかを考えながら移動することです。

これは「マクロナビゲーション」、あるいは「地理的ナビゲーション」と呼ばれます。

O&Mの「Orientationオリエンテーション)」とは、このようなナビゲーションを支える基盤となる能力です。

周囲の環境を理解し、自分と環境との位置関係を把握し、それをもとに安全に移動するための認知的な働きといえるでしょう。

こうして考えると、歩くことは決して単純な行動ではありません。

見えなくなると何が変わるのか

視覚障害になると、この三つの能力のうち、身体を動かす能力が急になくなるわけではありません。

大きく変わるのは、周囲の情報の集め方です。

それまで視覚で得ていた情報が少なくなるため、残っている視覚、触覚や聴覚、そして視覚補助具(例:単眼鏡)、白杖、盲導犬などを利用しながら移動することになります。

視覚補助具は見えにくいものを見やすくします。

白杖は路面の段差や障害物を知らせます。

盲導犬は前方の障害物や道の端を見つけ、安全な進路を選びます。

さらに最近では、音声によるナビゲーションアプリも利用されるようになりました。

しかし、ここで大切なことは、歩いているのはあくまで本人です。

白杖や盲導犬は、「運転支援装置」

最近の車には、自動ブレーキや車線維持支援など、多くの運転支援機器が搭載されています。

これらは優れた技術ですが、車を運転しているのは人間です。

白杖も盲導犬も、それによく似ています。

白杖は前方の情報を伝えます。

盲導犬は障害物を見つけると、少し手前からゆるやかに進路を変え、回避経路を選びます。

そのため使用者は障害物の存在に気づかないことさえあります。

しかし、今日は駅へ行くのか、病院へ行くのか、次の角を右へ曲がるのかを決めているのは犬ではありません。

判断し、指示を出しているのは使用者です。

白杖も盲導犬も、人に代わって歩いているのではありません。

必要な情報を提供し、「自分自身を運転する」ことを支えているのです。

ナビは目的地へ連れて行ってくれるのか

カーナビが普及する前、初めて行く場所では道路地図を広げて経路を考えたものです。

現在では、多くの人がカーナビを利用しています。

「300メートル先を左折してください」「しばらく道なりです」。

その案内に従えば、目的地には到着できます。

しかし、目的地には着いたのに、「どこを通ってきたのかわからない」という経験はないでしょうか。

目的地に着くことと、環境を理解することは同じではありません。

歩行者用のナビゲーションアプリも同じです。

便利な道具ですが、それだけでは周囲の環境を理解したことにはなりません。

しかも歩行者の環境は、自動車よりはるかに複雑です。

車は主として車道を走りますが、人は歩道、公園、広場など、多様な空間を移動します。

視覚障害者にとっては、わずか数十センチ位置が違うだけで入口を見つけられないこともあります。

位置情報技術は急速に進歩していますが、視覚障害者が安心して歩くためには、なお十分とはいえません。

だからこそ、技術に頼るだけでなく、自分の環境を理解し、判断する力がこれからも重要なのです。

O&Mとは何を教えるのか

私は長年、視覚障害者のO&M訓練に携わってきました。

しかし、伝えてきたのは白杖の振り方だけではありません。

周囲から情報を集めること。

自分がどこにいて、周囲がどのような環境なのかを理解すること。

その情報をもとに、自分で判断し、自分で進むこと。

つまり、自分自身という乗り物を運転する力です。

見える人も、見えない人も、自分自身の運転者です。

O&Mとは、単に歩く技術を教えることではなく、その人の自立を支える専門分野です。

その人が、自分自身という乗り物を安全に、そして主体的に運転し続けられるよう支援することこそ、O&Mの中心にある役割なのです。

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