ショッピングモールにて
ある日、ショッピングモールに出かけた時のことです。受付で案内を求めようと近づいたところ、受付スタッフから何となく避けられた感じがしました。通行人に声をかけても、なかなか立ち止まってもらえません。無関心な人や好意を示す人など、様々な反応がありましたが、手助けを受けるまで10分以上かかりました。
このような状況は、視覚障害のある人が街に出た際によく経験することです。
初めての街歩きは不安の連続
視覚障害を持つようになってからの初めての外出は、多くの不安を伴います。
「道を外れないだろうか」
「物や人をうまく避けられるだろうか」
「信号が変わったことが分かるだろうか」
「自転車や自動車の動きを把握できるだろうか」
など、多くの不安が頭をよぎります。
眼科の検査で伝えられた視力の値や視野の状況はわかっているはずであっても、
街の人々の動きや車の流れ、天候の変化など、変化する要素が多いため外の状況は予測が難しいものです。
また、自身の体調やその日の身体的状況も街歩きに少なからず影響を及ぼすことがあります。
社会が押す「烙印」
一方、社会は構成員に自らの行動を管理することを求めています。
幼い子供は親のもとで守られていますが、成人でありながら「行動を自分で管理できない人」と感じると、
社会から「高齢だから」「知的障害があるから」「目が不自由だから」「耳が遠いから」といった烙印を押されることがあります。
この烙印は、受けた本人だけでなく、その周辺の人々にも影響を及ぼします。
そのため、烙印を受けた人は、周辺の人々を困惑させないために自らの状況を深く理解し適切に対応する必要があります。
「セルフアドボカシー」の重要性
障害を持つ人が経験する烙印は、社会がその障害に対して抱く迷いや葛藤を反映しています。
障害者が自らの状況を十分に理解していない場合、街の人の支援の申し出に適切に応じることが難しい可能性があり、
双方に困惑をもたらすことが考えられます。
そのため障害がある人は、自分の状況を正確に把握し、それを伝える能力(セルフアドボカシーとも呼ばれます)が必要です。
そして自分がとった行動を客観的に見る能力も重要です。
このスキルは自分のナラティヴ(物語)を語る際の一つの鍵となります。