視覚障害者の移動と環境認識
目が見えなくなると視覚以外の感覚が補償的に利用されることになります。
これには主に触覚と聴覚が含まれます。
視覚が失われると聴覚が遠隔情報を感知する重要な役割を担います。
耳は外部の音を捉え、脳はこれらの音を知覚や認知に変換します。
環境には自然の音(例:鳥の鳴き声やせせらぎ)、生活の音(例:話し声や車両走行音)、情報を伝える音(例:場所を示すチャイムや音響信号)などがあります。
これらは視覚障害者が移動する際、目印や手がかりとして活用されます。
例えば、交差点横断での車両音は、交差点の形状判断、横断方向、横断のタイミングの推定に役立ちます。
1.音に気づく(sound awareness)
耳は常に全方向からの音を受け取ることができます。
時には耳に入ってくる音に気づかないこともありますが、これは「注意」の問題と関係があります。
一方で、意識的に音を捉える聞き方もあります。
日本語では「聞く」と「聴く」の別があり、前者は受動的、後者は能動的に音を捉えることを意味します。
一般に、聴覚は視覚に比べて方向感覚では劣りますが、注意喚起には優れています。
このため、警報音や位置の目印など危険を知らせるサインとして音はよく利用されています。
2.何の音かわかる(sound identification & discrimination)
音を識別することには声や足音で誰かを識別したり音によって特定の車を認識したりすることも含まれます。
これは過去の経験に基づいて脳が音を記憶し、それと新しい音を比較して同じ音かそうでないかを判断する高度な情報処理を伴うタスクです。
現代では、パソコン、スマートフォン、電子レンジなど様々なデバイスが異なる音を使用してメッセージを伝えています。
未知の音は、その音が何であるか、何を意味するのかが即座に理解できない場合があります。
3.どこから聞こえてくるのか(sound localization)
音源定位は、音が上下、左右、前後、およびどのくらいの距離から聞こえてくるのかを知ることを意味します。
これには空間認識も含まれます。
例えば、床にコインを落とした時、その音でコインがどこにあるかを知ることができます。
横断歩道で音響信号機を方向の手がかりとするのもこれに該当します。
音響信号機
音源が静止している場合、自分が動くことで相対的な位置の変化を感じ、位置情報を更新する手がかりになります。
耳で音の位置がわかる理由の一つは、左右の耳に届く音の違いです。
例えば音源が右側にある場合、音は右耳に左耳より早く、また大きく届きます。
そのため音源が正面あるいは後ろにある場合、左右の差がなく位置の特定が難しくなります。
片耳でも音源を定位できるという研究(下記文献)もあります。
Perrott, D.R. & Elfner, I.F. (1968). Monaural localization, Journal of Auditory Research, 8, 185-193.
4.音をたどる(sound tracking)
移動する音源(例:自転車)を連続して聞くことにより形成される線状のイメージを進路方向の手がかりとして使用します。
この技術は、道に沿って歩く、交差点での交差点の形状や横断方向を推定するなど、実際の状況で利用されます。
5.音の反射(echo)
音の反射(echo)とは、音が物体に反射して自分に届く現象です。
その音源には自分が発する音(例:靴音、杖が路面を叩く音)と環境音が含まれますが、実際の場面ではこれらが一緒に反射音(エコー)として耳に届きます。
このエコーを利用して物体の存在と位置を知る方法を「エコー定位(echo location)」 といい、視覚障害者の移動において重要な役割を果たしています。
先天的な視覚障害者の中には、熟知した環境ではエコー定位を活用して杖なしでは探知できない障害物(例:電柱)を検知し巧みに移動することができる人がいます。
中途の視覚障害者でも失明経験を経るとともに、空間の広がりの変化や屋根の下に入ったことなどを音響の変化で認識する人が多くいます。
音による環境認知や障害物の回避は完璧ではないものの、環境への慣れや知識を併用することで、これらの限界を補うことができます。
音を用いた移動技術は杖のような道具を必要としません。
その点においても常に稼働状態にある耳の役割は非常に重要です。