長年の努力の末に建設された施設の開所式
何年もの間、反対運動に直面しながら、最終的に4カ所以上の地で建設を試みた末に施設が建設されました。
開所式には、長い間入所を待ち望んでいた第1期入所生、県知事や国会議員、人気ニュース番組のキャスターも出席しました。
この様子はテレビ各局で放映されました。
運営法人の理事たちは、皇族の来訪を得ようと関係各所に働きかけていたとのことです。
メディアにとっては、施設の開設が長年の報道の一区切りとなりました。
その後、この施設がこれほどまでに注目されることはありませんでした。
スペースを最大限に活用した施設の設計
施設は3階建てで総面積990平方メートルです。
これは定員30人に1人当たり3.3平方メートルを乗じたものです。
建設費の補助は定員一人あたり3.3平方メートルという基準に基づいています。
そのため、建物はスペースを最大限に活用する設計となりました。
例えば、2つある階段のうちの1つは急傾斜です。
居室は2人部屋でベッド2つと机2つを置くと、中央には幅1.5メートル、奥行き3メートルの空間が残るのみでした。
居住区と風呂は男女共用でしたが、視覚障害者を考慮して廊下には出っ張り部分は一切ありませんでした。
生み出されたコントラスト
施設開設の準備はその年の初めから進められ、主に建物内の清掃や備品類の搬入が行われました。
長期にわたる反対運動のために法人は大きな借金を抱えており、事業費をできるだけ抑える必要がありました。
そのため、必要な備品のほとんどは中古で調達されました。
食器や調理器具は廃業した蕎麦屋から、数百冊の医療関係図書は理事や医師の知り合いから譲り受けました。
施設は都心から車で約2時間の場所にあり、レンタルトラックで都心と施設を往復し、必要な物資を運び込みました。
ピカピカの新しい建物に古い家具や図書を置くことは、なんとも言えないコントラストを生み出しました。
施設に待ち受ける大きな課題
最初の年度は2ヶ月遅れの6月に開始され、定員の半分である15名が入所しました。
しかし、2階の居住区の半分と暖房設備の完成は翌年に持ち越されました。
反対運動を乗り越えて建設された施設には、これから地域住民との良好な関係構築が大きな課題として待っていました。
施設が地域社会に溶け込み、障害者と非障害者の間の橋渡し役となることが期待されていました。