入所を断られる患者たち
1970年前後の日本では、ベーチェット病による失明者が増加し、社会的な問題として注目されていました。
多くの患者が国立を含む既存の施設から入所を断られる状況がありました。
これは、視覚障害が発生しても疾患の治療が続いている間は障害者として認定されないという障害福祉政策に起因していました。
ベーチェット病は一生続く慢性疾患で失明率が高いため、社会的な問題になっていました。
立ち上がった一人の内科医
急性期を過ぎれば自宅や通院での対応が可能であるものの、失明した直後の患者は自立した生活を送るのが困難で病院に留まらなければならない状況が生じていました。
必要なのは医療的サービスと失明による障害へのリハビリテーションサービスでしたが、従来の制度ではこれらが同時に提供されることは想定されていませんでした。
このような背景のもと、ベーチェット病治療に携わる医師や研究者の支援を受け、ひとりの内科医がベーチェット失明者のための施設建設に着手しました。
計画は当初スムーズに進むと見込まれていましたが、土地取得の段階で予期せぬ困難に直面しました。
延々と続けられた反対運動
土地取得後、施設建設計画が地域住民に知られると反対運動が巻き起こりました。
表向きの理由はベーチェット病への感染の不安でした。
住民説明会では、感染の可能性はほとんどないことについて科学的な根拠を示し丁寧に説明しましたが、受け入れられませんでした。
難病研究班の医師や厚生省の課長が説明に立つこともありましたが、状況は変わりませんでした。
表向きの反対理由の下に、治らない病気や治療法のない病気への不安、視覚障害者の受け入れに対する抵抗が隠れていました。
週に一度、近隣住民に説明会を開催し、施設建設に協力をお願いする日々が続きました。
このプロセスは数ヶ所で約10年間続きました。
社会における障害者受容の課題
最終的に、反対運動を避けるため、施設の建設は県が用意した過疎地域への移転を余儀なくされました。
この出来事は、社会における障害者受容の課題と、病気への偏見や不理解がいかに根深いものであるかを浮き彫りにしました。
この経験から、病気や障害に対する社会的な認識を改めて知り、その後の施設運営において重要な教訓となりました。