皆さんの中には、幼児が初めて自力で歩き始める瞬間を目撃したことがある人もいるでしょう。
その光景は誇らしさと喜びに満ちています。
幼児は両手を自由に動かし、視線を上げ、視野を拡げ歩きます。
この時から、人は自分だけの歩き方を形成し始めます。
成長するにつれて、その歩き方は徐々に確立し定着していきます。
やがて、周囲から「お母さんの歩き方にそっくりね」といった声が聞こえることもあるでしょう。
これは、おそらく身体の構造が似ているため、歩き方も似てくるのでしょう。
こうして私たちの歩き方は、長い年月をかけて形作られていきます。
歩き方を変えざるを得ない
しかし、特定の状況下では、確立された歩き方を変えざるを得なくなることがあります。
それは、事故によって片足を失った場合、脳に障害が発生した場合、あるいは視覚に障害を負った場合などです。
視覚障害が原因で前方の安全を確認できなくなった場合は、足裏で路面を確認するなど、歩き方は変わるでしょう。
また前方の障害物との衝突を避けるために手を使って身を守る必要があると自由に腕を振ることが難しくなるかもしれません。
視覚障害者の中には安全を確認するために杖を使用する人もいます。
この杖は基本的には支えではないため、理論上は歩き方に大きな変化をもたらさないとされていますが、
実際には1メートル以上の杖を振りながら歩くことが歩き方に何らかの影響を及ぼすことは否定できません。
中途で視覚障害を負った人は、長年にわたって培った歩き方を変更せざるを得なくなります。
そのため、新たな歩き方を形成する必要が生じます。
何がどのように見えるのか、また何が見えないのかは、実際に環境の中を歩いてみないと理解できないことがあります。
眼科の検査結果だけでは把握しきれない側面もあるのです。
試行錯誤を重ねることで、安全かつ新しい歩き方が形成されていきます。
新しい歩き方を他人に見せるときは、恥ずかしさや、他人の反応に対する不安を感じることがありますが、
そのために歩行訓練が存在します。
訓練は訓練を受ける人の不安感を和らげ、新たな歩き方を社会に紹介する機会を提供します。
訓練士は訓練を受ける人と社会との間にいて、新しい歩き方で社会に戻るための支援者としての役割を果たします。
物語が生み出す歩容の美しさ
人の歩き方は、身体の構造、認知機能、感覚機能に基づいた、ある環境下での自己決断の結果です。
その一歩一歩には、その人の生きてきた「物語」が込められています。
予期せぬ試練によって変化を強いられることもありますが、そこから新しい形を見つけ、前に進む勇気が生まれます。
一人ひとりが異なる歩き方をするこの世界では、どのような歩き方(歩容)もその人なりの美しさがあり、
共に歩む者への理解と支えが、より豊かな社会を築く鍵となります。