生活ルートを一人で歩けるかどうか
通常、私たちは自宅を起点にいくつかの生活ルートを持っています。
日常生活を営む上で必要な場所としてゴミ集積所、コンビニ、バス停、駅などが主な目的地としてあげられます。
しかし、視覚を失った人がこれらのルートを一人で歩けるかどうかは、実際に試してみないとわかりません。
歩いてみればよいものの、「怪我をしたらどうしよう」「戻れなくなったら困る」と考えているうちに、
なかなか一人で外に出る機会を持てず、月日が経過してしまうことが多いのです。
同行を頼みにくい生活ルート
生活必須の場所、例えば医療機関や役所、スーパーマーケットなどには、家族や知人に同行してもらったり、
同行援護サービスを利用したりして出かけます。
しかし、自宅周辺の近距離の場所へ一人で出かけることは後回しにされがちです。
そんな中、「近所のあそこなら、一人で行けるのではないか」
と見えていた頃の記憶を辿りながら期待と不安が入り混じった気持ちで、一人で行くことを考えることがあります。
もし一人で行けるのであれば、他人の都合に縛られることなく自由に出かけられるため、
より自律的な生活が可能になります。
屋内では、文字を読む、家事をする、パソコンを使うといった日常的な活動について自分の能力を安全に試せますが、
屋外の移動は危険が伴うため、可能であれば見える人に同行してほしいと思うのが普通です。
一人で歩くために必要な情報
失明前から住んでいる場所であれば、周囲の環境について多少の知識があることが多いですが、
失明後に引っ越した場合など、訪れる先々を未知の場所に感じることが多いでしょう。
また、誰かに同行してもらって歩くだけの生活では、途中の道路やその周辺環境についての知識が
ほとんど蓄積されないこともあります。
すると、自分が一人で歩くためにどのような情報が必要なのかがわからず、結果的に一人歩きが難しくなってしまいます。
すべての道路に点字誘導ブロックを求める視覚障害のある人もいますが、これは街中にある情報をどのように収集し
それを活用して行動するかを学ばず、点字ブロックに依存する姿勢とも言えるでしょう。
具体的な事例
事例1
ある集合住宅に住むある全盲の人が、長年ゴミ出しを手伝ってくれていた知人が引っ越したため、
自分でゴミ集積所に行かなければならなくなりました。
集積所は、「部屋を出て、廊下を歩き、階段を降り、道路を5メール歩いたところ」にありました。
その経路を白杖を使って繰り返し歩いた結果、一人で行けるようになりました。
事例2
視覚障害者施設に住む全盲の人が、これまでガイドに付き添われて帰っていた実家に、
一人で帰れないだろうかと考えました。
実家はバスと電車を乗り継いだ1時間ほどのところにあり、
最寄りのバス停は施設を出て県道を400メートルほど歩いたところにあります。
往路は道路を横断する必要はありませんが、復路は道路横断が必要で、
さらに県道には歩道がなく交通量も多いことから最終的に一人での往復を断念しました。
事例3
視覚障害を負ってから高齢の両親と住むために実家に戻った全盲の人が、
近所のコンビニに一人で行きたいと考えました。
コンビニは実家から300メートルほどの距離にあります。
経路を下見した結果、歩道が全経路に渡って続いていましたが、田んぼや畑地に面しているため、
歩道との高低差があり、最も深いところで1メートルの段差がありました。
転落の危険があることから、歩道の縁石をたどりながら歩くことを決断しました。
事例4
毎週ガイドヘルパーと都心の公園でマラソンの練習をしている全盲の人が、
練習後の帰路の時間調整が難しいことから、駅から自宅までの約600メートルを一人で歩けないか試しました。
交差する路地の多さと音響信号のない信号機付きの交差点があり危険度が高いため、
当面は断念することにしました。
自律した生活を目指す姿勢
これらの事例に共通しているのは、日常生活に必要なルートの一部を自力で歩けるかどうかを考え、
実際に経路を下見して判断材料を得ている点です。
結果として、当人の移動や情報処理能力、ルート上の危険度、移動支援設備の有無などにより、
自力歩行が可能になった事例もあれば、そうでなかった事例もありました。
各事例で取り上げた経路はいずれも数百メートルと短いものでしたが、
いずれも視覚障害を抱えながらも自律した生活を目指す姿勢が見てとれます。