囲碁の棋譜が読めない…
囲碁が好きだった私は、以前、視覚に障害のある有段者の方から相談を受ける機会がありました。
彼は視覚障害が進行し、毎週楽しみにしていたテレビの囲碁講座が見られなくなりました。
また棋譜も読めなくなってしまい、大きな失望を感じていました。
彼は、大量に保有していたプロ棋士の対局のビデオ記録を全て処分してしまいました。
彼の言葉には「見えない」「できない」といったネガティブな表現が多く含まれていました。
9路盤、そして19路盤へ
私は彼に「何か見えるものはありますか?」と尋ねました。
彼はしばらくしてから、テレビ画面の左上の時刻表示が読めると答えました。
彼は見えなくなったものもあれば、まだ何か見えるものもあったのです。
その後、私は9路盤を使って彼と囲碁を打つようになりました。
彼は私より数段上でしたが、最初のうちは私も勝利を収めることができました。
彼は盤面の石が十分に見えず、そのことが敗因でした。
しかし、彼は回を重ねるごとに実力を発揮し、私は敵わなくなりました。
彼は盤面をよく見るために照明を調整したり、拡大鏡を複数用意して使い分けるなど工夫をし、
19路盤でも打てるようになりました。
注:囲碁は通常、19×19の盤(19路盤)でプレイしますが、初心者や子ども、または手軽に短時間でゲームを楽しみたい人のために、9×9(9路盤)や13×13(13路盤)の盤もよく使われます。
9×9の盤には81の交点があり、19×19の盤のサイズのおよそ4分の1です。
障害との向き合い方
障害との向き合い方は、その人やその周囲との関わり方に大きく影響されます。
障害を持つ本人、家族、友人、福祉やリハビリテーション関連の専門家たち(内部の人々)と、
障害を持つ人々に直接関わりのない人々(外部の人々)との間で、障害の捉え方や関わり方に大きな違いがあります。
内輪の人々は、本人が障害を克服することを強く望み、その過程が彼ら自身の生活にも影響を与えます。
一方、関わりを持たない外部の人々は障害者の厳しい状況に対して同情したり憐れみを感じたりすることが多くあります。
内部の人々は、「できること」に焦点を当て、障害を克服することを喫緊の課題ととらえます。
外部の人々は、多くの場合、障害者がどう対処するかという問題を遠くから傍観します。
「打ちのめされた」状況に目を向けると、同情が生まれます。
しかし、「できる」ことに焦点を当てると、支える行動が生まれます。
先の例では、一度「できない」と感じていたことが、「できる」という視点に変わっただけで、
実際に可能性が広がりました。
啓蒙活動で伝えるべきこと
障害を「克服する」という観点から見るか、「打ちのめされる」観点から見るかという違いは、
社会の人々に対して障害に対する啓蒙活動をする際の重要な基準となります。
啓蒙活動が、障害による苦しみや困難を強調し克服の可能性を十分に示さなければ、
その活動が引き起こす感情は憐れみや恐れになりかねません。
失明の衝撃的な影響を強調した講習会は一般市民を対象に多く開かれていますが、
それが受講者の認識の中に障害者の可能性や能力を過小評価する傾向につながる危険性があります。
私たちが啓蒙活動を通じて果たすべき役割は、障害による困難を強調するだけでなく、
障害を持つ人々の克服する力や可能性を正しく理解して広めることです。
失明の衝撃や困難を伝える講習は重要ですが、それと同時に障害を負った人がどのように挑戦して障害を克服し、
何を成し遂げることができるのかも伝え、共有することが必要です。