「まっすぐ歩く」ための手がかり
人は通常、何の手がかりもなく「まっすぐ歩く」ことはありません。
環境には方向を示す手がかりが多く存在します。
例えば、道路に引かれた白線や歩道の縁石は「まっすぐ」を知る手がかりになります。
また、道路横断では、対岸の目標物を目で捉えてそこに向かうことで「まっすぐ歩く」ことができます。
しかし、見渡す限り何もない砂漠、濃い霧、あるいは真っ暗闇の中のように、「まっすぐ歩く」手がかりがない状況では、人はどのように歩くのでしょうか。
円を描いて歩く
Howardらは著作の中で、霧の中で道に迷った人は、たいていの場合、円を描いて歩くという事実を紹介しています。
彼らは、「人も動物も、環境との感覚的なコミュニケーションをほぼすべて奪われると円を描くように移動する」と述べています。
視覚障害のある人々のオリエンテーションとモビリティ (orientation and mobility) では、
意図した直線からの逸脱を「veering」と言います (Hill & Ponder)。
そして、方向の情報のない状態で歩いたときのveeringの特徴(たとえば、逸脱の方向、逸脱の大きさ)を
その人の「veering tendency(偏軌傾向)」といいます。
視覚障害のある人々にもveeringが起こる
Rouseらは、先天的視覚障害のある人々に目隠し、耳栓、および頭部を覆うフードを装着させ、
周囲からの感覚情報を遮断した状態で歩く様子を観察しました。
その結果、それ以前に晴眼者を被験者とした実験と同様に、視覚障害のある人々にもveeringが起こること、
各人のveering方向は一定であったが、被験者間には違いがあったと報告しています。
Crattyらも、目隠し、耳栓、および頭部を覆うフードを装着した視覚障害のある人々の歩く様子を観察し、
被験者のveeringは30メートル当たり約36度、一歩当たり約3センチメートルであると報告しています。
なぜveeringが起きるのか ー実験の変遷ー
これまで、veeringを説明するためにさまざまな身体構造に関する要因
(左右の脚の長さや強さの違い、生体力学的非対称性、脳の側性化など)が提案されてきましたが、
どれも広く支持されたものではありません。
Crattyらは実験結果を踏まえて、veeringは身体構造によるものではなく、
「ある種の知覚の歪み(some kind of perceptual distortion)」によって引き起こされると述べています。
そして、当時、歩行訓練士の間で一般的であった、
訓練生のveering方向の靴底を厚くすることで矯正しようという実践を非難しています。
1980年代までの実験は、校庭やテニスコートなど広がりのある空間で行われましたが、
環境からの情報を確実にコントロールすることは難しかったようです。
たとえば、Rouseらは耳栓が十分に聴覚刺激を遮断できなかった可能性を指摘しています。
1990年以降の実験
1980年以前の研究は、被験者個々の特性ではなく、グループとしてのveering tendencyを検証していました。
1990年以降になると、歩行軌跡の記録に、超音波やレーザー光線を用いた位置計測システムを使用した研究が登場し、
それ以前と比べてより正確で詳細な軌跡を記録できるようになりました。
実験場所も屋外ではなく、無響室などを使用する研究もありました (Tanakaら、Bestavenら)。
これに伴い、被験者個々の軌跡の特徴や軌跡のばらつきを観察・分析する研究も現れるようになりました。
Guthらは、「veering tendencyは人により異なり、各個人のveering tendencyにもばらつきがある」としています。
さまざまな状況で起こるveering
veering tendencyは視覚障害のある人の安全な移動に多大な影響を及ぼすにもかかわらず、
その詳細については未だに明らかになっていない点が多くあります。
視覚障害のある人は、視覚障害によって視覚情報の入手が大きく妨げられるため、
視覚以外の感覚情報、例えば風の方向、路面の傾き、音などを活用して目的地へ向かいます。
しかし、有効な情報は常にあるとは限らないため、veeringはさまざまな状況で起こります。
その結果、歩道の縁石を踏み外したり、歩道に隣接する駐車場に入り込んだりすることがあります。
交差点やプラットホーム上を歩くときには、veeringが命の危険につながる要因となることもあります。
たとえば、交差点横断の際、横断歩道に垂直な縁石で横断方向を決め、その方向へ直進するとき、
他に方向を知る手がかりがないとすると、その軌跡はその人のveering tendencyに大きく依存します。
歩行は「知覚運動課題」
歩行は「知覚運動課題」であり、環境から得た知覚情報をもとに移動し、
その移動によって知覚が変化するという環境と歩行者の継続する相互作用です。
歩行は、歩行者が感覚情報を捉え、正確に処理できるかどうかに大きく依存する課題です。
環境からの視覚、聴覚、および体性感覚情報が統合されて、対象および自己の位置関係が確立できれば、
veering tendencyによる進路からの逸脱を適宜修正しながら目的地点へ近づいていくことができます。
しかし、情報や刺激を認識する際に、実際の事象と主観的な認識との間に不一致が生じた場合、
すなわち知覚にずれが生じた場合、veeringを修正できず、意図した進路から外れてゆくことになります。
今後の課題
今後、veering tendencyのさらなるメカニズムの解明と、効果的な矯正方法の開発が求められます。
これにより、視覚障害のある人々の移動の安全性が向上することが期待されます。
文献
- Howard, I.P. & Templeton, W.B. (1966). Human spatial orientation, John Wiley & Sons.
- Hill, E. & Ponder, P. (1976). Orientation and mobility techniques, A guide for the practitioner, the American Foundation for the Blind, New York.
- Rouse, D.L. & Worchel, P. (1955). Veering tendency in the blind, the New Outlook, 49(4).
- Cratty, B.J., Peterson, C., Harris, J. & Schoner, R. (1968). The development of perceptual-motor abilities in blind children and adolescents, the New Outlook, 111-117.
- Cratty, B.J. (1967). The perception of gradient and the veering tendency while walking without vision, AFB Research Bulletin.
- Tanaka, I., Shimizu, O., Ohkura, M. and Murakami, T. (1988). Direction judgement of blind travelers in straight walking under controlled environment, Nat. Rehab. Res. Bull. Jpn., No.9.
- Bestaven, E., Guillaud, E. & Cazalets, J. (2012). Is “Circling” behavior in humans related to postural asymmetery?, Plos One, 7(9).
- Guth, D. & LaDuke, R. (1995). Veering by blind pedestrians: Individual differences and their implications for instruction, JVIB, Jan-Feb, 28-37.