白杖を持つことは…
白杖をついて歩く人は盲人のステレオタイプの一つであり、盲人としての扱いを受けると同時に盲人のように振る舞うことを期待されます。
それゆえに、自身を「盲人」と認識していないロービジョンの人は、盲人と異なることを主張するためにバッジや白でない色の杖を携帯することがあります。
参考:ロービジョンであることを示すバッジ
「I have low vison button.」(LIGHT HOUSE FOR THE BLIND AND VISUALLY IMPAIRED)
一方、白杖は盲人だけでなく、ロービジョンの人やその他の障害の人の印でもあると
広く認識されるように啓蒙する人々もいます。
街の人に視覚障害を気付かれないように歩くと…
慣れた道であれば白杖(ここでは移動補助具としての杖)なしでも安全に歩けると考えるロービジョンの人は、
自分の視覚障害がすぐに街の人に感知されることはないと思うでしょう。
その人は、他の歩行者に紛れて歩くために多大な努力をしていたとしても、
街の人はその人がロービジョンの人であると知ることなく他の歩行者と同様に対応するでしょう。
そのため、歩行速度や歩行者の回避動作が平均的な水準に達せず、
他の歩行者と衝突するなどのトラブルが発生すると、その行動を強く非難されることがあります。
街歩きは社会的場面
街歩きは、ロービジョンの人と街の人双方が互いを目の当たりにし、時に言葉のやり取りなどの接触も起きる社会的場面です。
この場面で、ロービジョンの人は自分の見えにくさに街の人が気づくかどうか、
気づいた場合、それをどう受け止めるかわからないという不安感を抱きます。
この不確実さは、想像するだけでは解消しません。
街の人との接触が好意的に迎えられたとしても、その人が見えにくさに気づいているのかどうかは依然としてわかりません。
ロービジョンの人は街の人と接触している間ずっと、相手に見えにくい状態であることが気づかれないように、
ある種の演技をし続けなければならないのです。
街で白杖を持つと…
ロービジョンの人が白杖を持った時、街の人にはその人が視覚障害のある人だということが明らかになります。
その視覚障害が盲かロービジョンかはわからないにしても、
この場合、街の人は盲人のステレオタイプに基づいた行動をとることが一般的です。
そのため、望んでいないガイドの申し出であったり、自分の障害状況について詮索されたり、
「お困りですか」「どちらへ行きたいのですか」などの言葉掛けに対応しなければなりません。
「ひとりで大丈夫です」と答えた後に起こったこと
ある時、あるロービジョンの人が、いつものように仕事帰りに駅のプラットホームで杖を持って歩いていた時、
「手を貸しましょうか」という申し出に「ひとりで大丈夫です」と答え、
そのまま歩き続けてホームから転落しました。
被害者はその事故の間接的要因として、申し出を同情的な関心と捉え、
虚勢を張って答えた自分がいたのかもしれないと
振り返りました。
それ以来、申し出に対し少し柔軟な態度で対応しようと考えるようになったと話しています。
まとめ
このようにロービジョンの人と街の人の接触が起きる社会的場面では、見えにくさのある人と、
それに気づいているかどうか知りようのない街の人との直接のやりとりが発生します。
自身の見えにくさを隠して接している場合、それを気付かれないように細心の注意を払いながら街で人と接します。
白杖を携行している場合は、街の人が自分のロービジョンというアイデンティティを理解しているか、
盲人として認識しているのかが不明確な中、自分のプライバシーの一部(ロービジョン)が明らかにされ、
知らない人のステレオタイプ的な態度や質問に晒されるという場面を経験することがあるのです。